憲法9条の改正は何の為か。
言うまでもなくわが国の真の自主独立を回復する為だ。
自主独立を回復しなければ、
平和も民主主義もその他のリベラル的価値も、
決して保障されない。
自主独立を回復するには、
「自衛権」を十全かつ規律ある形で行使できるように、
憲法を改正しなければならない。
さしあたり叩き台となる、
「自衛権」を明記した9条改憲私案は、
先に発表した(それに過度に拘るつもりはない)。
自衛権は勿論、個別的自衛権と集団的自衛権によって成り立つ。
もとより、個別的自衛権すら十全に行使できないまま、
集団的自衛権に踏み込むのは、危険極まりない。
安保法制や自衛隊加憲論はその典型例。
だから私はこれまで批判して来た。
しかし、自衛権を明記する憲法改正なら、
どちらかを敢えて除外するのは、
独立国として明らかに異例だろう
(「自衛権」と明記すれば、
そのまま個別的・集団的両自衛権を含む)。
わが国が自衛権を十全に行使できるようになり、
対米依存=従属を解消した際に、集団的自衛権を実際に
行使するのは、どのような場面か。
わが国の存立に直接、重大な関連を持つ
友好的な近隣国からの要請に、抑制的に応えるのが、
主なケースになるだろう。
これまでの諸外国の実例(国連発足から2014年までの15件)
を見ると、集団的自衛権の行使は、自国より軍事的に弱小な国を
助けるパターンが圧倒的に多い。
自衛権を回復する改憲が行われたら、
もう“属国”として“宗主国”に忠勤を励むという
歪(いびつ)な集団的自衛権の在り方に囚われる必要はなくなる。
その場合、アメリカのような世界最強国が、
日本の集団的自衛権行使の対象になるは、
同盟国だから皆無ではなくても、珍しいケースに限られるはずだ。
言うまでもなく、集団的自衛権を行使するかどうかは、
その都度、わが国が主体的かつ慎重に判断する事になる。
憲法がたやすく何度でも改正できるなら、
第1段階の改正では、個別的自衛権“だけ”を
フルスペックで行使できるようにするにとどめ、
第2段階で集団的自衛権に拡げるという考え方も
(それは半人前国家から一挙に一人前国家になるのではなく、
まず半人前プラスα国家になり、次のステップで一人前国家になる、
という話だが)、あり得るかも知れない。
しかし、それが困難なら、
自衛権の「行使」を規律する条文を加えるのは当然としても、
「自衛権」それ自体の一定部分を、わざわざ予め除外するという
発想を、今のところ私は取らない。
更に、集団的自衛権を“地下”に追いやる事で、
(個別的自衛権が恣意的に拡大解釈される等)
立憲主義的な規律が及ばなくなる危険性はないだろうか。